M
inami Mitsui
三井 美波
my story
私は「ピアノの才能がない」けれどピアノ講師になれたのは、
『ピアノに才能は必要ない』と感じたからです。
どんな人でも楽しむことができるのが、音楽です。
音楽は知れば知るほど楽しく、私はそんな世界に魅了されていて、
レッスンを通して生徒さんや親御さんと過ごす時間に幸せを感じています♡
ピアノの習い始めは年中の頃でした。
ピアノとは無縁の両親が「女の子だったらピアノが弾けたら良いね」と
思ったことがきっかけで、母の知り合いのお教室に通い始めました。
「音楽を楽しむ」ということを大切にされていたので、
レッスンではゲームなどをした覚えがあります。
ピアノを専門に学ばれていない先生だったため
小学2年生まで片手の教本をゆっくり進めていました。
小学3年生になった頃にお教室が変わり、
そこではピアノのコンクールなどに熱心なところでした。
両手も弾けない状態の私は両手で弾くことにも
楽譜を読むことにも、とても苦労しました。
でも負けず嫌いだったので「コンクールを受ける?」と聞かれると
「受ける!がんばる!」と言っていたように思います。
技術も才能もないため弾かせてもらえるのは「有名じゃない曲」でした。
有名な曲を弾くと、弾けていないことが明らかになってしまうからです。
そして常に練習の曲やコンクールの曲があったため、
本当に弾きたい曲は弾けない雰囲気にありました。
「エリーゼのために」や「トルコ行進曲」
学校の合唱の曲やポップスの曲も弾きたかったな。
そこからは「ピアノが楽しい」というよりは
「やるべきこと」として生活の一部となっていたように思います。
ピアノの道に突き進んでいくと「音楽高校」の進学が目の前にありました。
負けず嫌いで諦めたくなくて「絶対に受かりたい!」と真剣に取り組みました。
けれど小学生の頃から「基礎」を身につける時間よりも
コンクールなどの「応用」ばかりに注力していたため、
高校でも大学でもずっと苦労し続けることとなります。
ただ音楽はとっても好きでした!!!
コンクールやピアノレッスンのために
なかなか出席出来ませんでしたが、
吹奏楽部でみんなと演奏することが
ワクワクして好きな時間でした。
ポップスも好きでいつも歌っていたように思います。
けれど実際のピアノではクラシックばかり。
そんな私が音楽大学まで出て将来何の仕事が出来るのか…。
何度も色々な職業を考えましたが、
やはり考えついたのは「ピアノの先生」でした。
私が知っているピアノの先生は
「コンクール」を目指すような先生方でしたが、
もっと楽しくピアノって出来ないのかなと
「ピアノの先生」でも「私のなりたい先生」の形を
探していこうと心に決めます。
私の経験から「楽しい」だけでも基礎が身につかずに
あとあと苦労してしまう場面もよくありました。
「楽譜の読み方」が分からなかったり
「弾き方」が変になってしまったりすることで、
練習が嫌になってしまったり。
どうに考えても「基礎」は大切なのです。
だからこそ、私は子どもたちにとっては楽しくいつの間にか
基礎が身についているような状態を作ってあげたいと考えています。
そのためには自分の力だけではどうにもならないことも
これまで100名以上の生徒さんと関わってきて感じます。
お子さんが普段長い時間関わられている
ご家庭の環境がとても大事だと痛感しています。
それでも私も二人のこどものいる親として
日常は綺麗事では進まないことも現状としてあります。
「親御さんが安心してくださる場所」
「生徒さんがのびのび成長できる場所」
壁にぶつかりながらもどうしたら解決できるのか、
子どもたちには未来を選ぶことができる力がつくように
思考力とともに成長していってほしいと願います。
どんな子でもピアノが弾けるようになります。
けれど「無理に」がんばることは不要です。
逃げ方も知っている必要がある。
可能性溢れる芽を大切に育てながら、
一人でも多くの方と一緒に成長を喜び合えたら…
そんなピアノの先生を目指しています。
もしピアノに対して興味を持ってくださったら
ぜひ一緒に音楽や人生を楽しめると嬉しいです